急戦小僧の独り言(過去の独り言)




1月24日(土) episode520;寒波

ここ数日とても寒いですね。
道は凍っていますし、とてもここが広島とは思えません。
下手すると京都より寒いんじゃないか、そんな気すらしてきます。

そんな今、『半身浴』がマイブームです。
湯船にぬるめのお湯を張って、胸くらいまで浸かります。
全身に血が巡り、暖かくなるまで待つのです。
これをするだけで、お風呂から上がっても体がポカポカして気持ちよく床に就けます。
一度お試しあれ。

1月23日(金) episode519;回顧録〜決戦 其の二〜

改めて振り返っても、中学・高校通じて最高の1局だった。
今でもたまに並べることがあるのだが、善悪は別として負けられないという気持ちが伝わってくる、そんな将棋だった。
記憶している限りでは、自分よりも強い相手に勝ったのはこの1度きり。
極度に面倒を見る棋風が災いし、強豪にはほとんど入らなかった。
その後、3回戦は何とか勝ったが、準々決勝では勝負どころで踏み込めず痛恨の敗戦。
チームも1-2負けで、残念ながらベスト8(記録上は4位)止まり。
歴代最高成績だったが、自分のせいで敗れた事もあり喜ぶ気にはなれなかった。

全国終了後、宿命のライバルだったTは事実上引退し、残された僕はもはや燃えカスだった。
3年になり、後に高校名人となるIが入部し楽しませてくれたが、Tとの対局ほど燃えるものは感じなかった。
ぼちぼち大会には出ていたが、さほどの成績を残すこともなく、僕の高校将棋生活は終わりを告げた。

大学入学後のことを改めて書く必要は無いだろう。
個人戦では1度も代表になれなかったが、王座戦及び西日本大会で実力以上の活躍が出来たのでとても満足している。
興味がある人は、この日記の過去ログ及び旧広大将棋部日記を参照して欲しい。
思い出す作業はとても骨が折れる。
小説家の大変さを、身をもって知りました。

1月22日(木) episode518;回顧録〜決戦 其の一〜

予選から3ヶ月後、遂に全国大会の日がやってきた。
会場は奈良県香芝市。
学校が金をケチったので、始発で会場まで向かう事になっていた。
京都代表でも宿泊するというのに、全くあり得ない話だ。
唯一の救いは、くじ運がよく1回戦シードだという事くらいか。

ところが、会場について思いも寄らぬことを耳にした。
我々は神奈川代表−大分代表の勝者と当たる事になっていたが、前者はどうやら優勝候補の一角らしいのだ。
しかも、副将・三将が強豪との事。
副将の僕が一発入れねば負けなのは、誰の目にも明らかだった。

2回戦の相手は予想通り神奈川代表。
大将のTは瞬殺、三将は圧敗し、1-1で僕のところが残った。
形勢は絶望的だった。
駒を損している上に一方的に攻められ、もはや風前の灯であった。

悪いことした、本当にそう思った。
Tはどんな顔をしてるだろう?
ふと見ると……帰る準備しとるやんけ!!!
死んでも勝とうと思った。
何としてもあの阿呆の鼻を明かてやる、もうその事しか頭になかった。
それから1時間後、僕は奇跡的な大逆転勝利を収めた。 −続く−

1月21日(水) episode517;回顧録〜進撃〜

基本的には、味方は信じない方だ。
自分が負けたらチームも負ける、そう思ってやってきた。
実際、僕の勝敗とチームのそれは、完全に一致していた。
戦犯(チームが負けた責任者の事。ポイントゲッターが負けるとそう呼ばれる)になるのはもう御免だった。

そんな僕が唯一信じていた仲間、それがTだった。
この男は過去4年間で1度も戦犯になった事が無いという、恐るべき勝負強さを誇っていた。
「俺さえ勝てばチームは勝てる。」
そう信じるのに、十分すぎるチームメイトだった。

正直言うと、大会の内容はあまり覚えていない。
唯一の記憶は、準々決勝で味方に助けられ勝った事だ。
戦犯を覚悟し、味方の将棋を見ていられなかったのだけは、今でも鮮やかに蘇る。
その後も苦戦続きだったが、相手のミスに助けられ何とか優勝。
8月に行われる全国大会への出場を決めたのだった。 −続く−

1月20日(火) episode516;回顧録〜冬眠〜

将棋部日記なので『冬眠』と書いているが、この時期が一番学生らしい生活をしていたと思う。
塾がある事を口実にクラブをサボり、ゲーセンなどで遊び呆けていた。
とりあえず塾には通っていたが、勉強などした事がなかった。

堕落していると感じてはいたが、慣れるとだんだん苦痛でも無くなってきた。
何より、塾には同世代の女子がたくさんいて、彼女たちに会うのが何よりの楽しみだった。
あっという間に1年が過ぎ、僕の存在は忘れ去られようとしていた。

高校1年の秋も終わりに近づいた頃、久しぶりにクラブに顔を出し愕然とした。
知らない間に、2つ下の後輩がメキメキと頭角を現していたのだ。
僕はハタと気づいた。
「こいつらが高校生になってしまったら、もう俺の出番は無い!!!」

いきなりの将棋熱再発。
僕は速攻で塾を辞め、部長だった友人の説得へ向かった。
「今はみんなやる気がある、部活を毎日やろう。もちろん昼休みも。」

端から見れば無茶苦茶な話である。
1年以上ほとんど顔を出さなかったくせに、いきなり「毎日やるぞ」ですから。
ところが、彼はやる気になったのをことの外喜んでくれた。
そればかりか、好きな時に将棋が指せるよう、部室の鍵まで与えてくれたのだ。
こうして、半年間万全の準備を整えた我々は、悠然と大阪府予選を迎えた。 −続く−

1月19日(月) episode515;回顧録〜魔の手〜

何もかも、順風満帆に見えた。
2年生で団体戦レギュラーの座を獲得出来た上、優勝まで飾っていた。
誰もが『高槻時代』の到来を信じて疑わなかった。

ところが、魔の手は確実に忍び寄っていた。
そして中学3年夏の三者面談で、遂に事件は起こった。

担任;「(英語の成績を指さし)これは一体なんだ?」
小僧;「いや、あの、その…」
担任;「はっきり言うが、この点では内部進学すら出来んぞ。ましてや、他の高校など不可能だ。」

高槻中学の通知表は100点満点でつけられ、欠点は35点以下。
ところが、僕の英語の成績は……18点!!!
これでは、何を言われても文句のつけようがありません。
さすがに、母親も怒りました。

「英語の成績が人並みになるまで、将棋はやめなさい!!!」

言うだけでは聞くわけがないと思ったのか、将棋部の活動日は全て英語塾の日になってしまいました。
こうして、栄光を目の前にしながら、長い長い冬眠生活が始まったのである。 −続く−

1月18日(日) episode514;回顧録〜入部〜

男子校の文化祭とは、恐ろしいところだ。
どこから呼び集めたのか女子高生が大勢現れ、彼女らに群がる高校生の姿が、至る所で見られた。
僕らが生まれてきた過程をようやく知った、そんなウブな少年には居場所などあるわけがなかった。

仕方なく、僕はTのところへ向かった。
居場所は聞いていなかったが、案の定、やつはそこにいた。
将棋部主催の自由対局場である。

いつものようにTと指した。
勝敗はよく覚えていないが、いい勝負だったのだろう。
先輩らしき人に、いきなり対局を申し込まれてしまったのだ。

結果は土俵際まで追いつめながら敗北。
T以外の人間には負けると思っていなかったので、とてもショックを受けた。
いや、ショックだったのはむしろ、相手だったのかもしれない。
何せ、中学将棋部の次期エースだったのだから。

熱烈な勧誘を受けた。
いや、勧誘されなくても入部していたであろう。
負かされた事で、僕のプライドは大きく傷ついていた。
この借りを返さずに生きていく事など、到底不可能であった。
「いつかこの雪辱を、必ず…。」
そう堅く決意し、将棋部員としての生活が幕を開ける事となった。

1月17日(土) episode513;回顧録〜ライバル〜

Tと出会ったのは、まだ入学して間もない頃だった。
同じクラスで将棋が好きと言う事もあり、すぐに意気投合。
ところが、この男が僕の人生を狂わす事になるとは、この時は夢にも思わなかった。

Tには全く歯が立たなかった。
最初の20局で19敗すると、そのままズルズルと負け続けた。
ここで、僕は1つの妙案を思いつく。
『対局を休み時間ごとに指し継ぐ方式にしよう。』
(それまでは10分で指しきれるよう、お互い長考はしないようにしていた。)
これなら、授業時間中ずっと次の手を考えられるからだ。
それからというもの、1日中将棋漬けの生活が始まった。

そんな生活を始めて半年、順調に力は伸び、わずかだがTにも勝てるようになっていた。
しかし、部活は硬式テニスを選択していた。
『将棋部員=オタク』と見られ、モテなくなる事を極度に恐れていたからだ。
(ちなみに、高槻中学は男子校なので、学内に女子はいませんが。)
ところが、運命のいたずらとは皮肉なもの。
10月初め、あれほど恐れていた将棋部へ足を踏み入れるときが、遂にやってきてしまうのだ。 −続く−

1月16日(金) episode512;回顧録第1章〜出会い〜

将棋に興味を持ったのは小学校3,4年の時だった。
友達の間で将棋が流行っていた。
負けたくない、そんな動機だったと思う。
入門書を1冊買ってもらい、ボロボロになるまで必死に読んだ記憶がある。
その甲斐あってか、クラスではほとんど負けなくなったが、ブームが去ると共に僕の心も将棋から離れていった。

再び将棋と出会うのは小学校6年の時。
この時には既に、生まれ故郷の千葉から京都へと移り住んでいた。
中学受験を控えたある日、僕は志望校のとある噂を耳にした。

「あそこは将棋部が強いらしい。」

何故だかわからないが興味を覚えた。
クラスでは負け無しだったし、腕に自信があったからかもしれない。
とにかくその日から、「入学し将棋部に入ろう」と決意を新たにし、受験勉強にもいっそう力が入った。

1992年3月5日、僕は無事、第一志望の私立高槻中学に合格。
まあまあの進学校だった事もあり親は喜んでいたが、僕の気持ちは既に勉強からは離れていた。
「高校受験もない、これで思う存分将棋が出来る。」
そして、僕はここで運命の男と出会う事になるのである。 −続く−

1月15日(木) episode511;芥川賞

今日から回顧録でも書こうかと思ったのですが、気が変わったのでやめます。
気分屋なもので…どうもすいません。
いつまで続くかわかりませんが、久々に辛口トークを展開してみたいと思ったのです。

ということで、まず今日一番の話題といえば、芥川賞で最年少受賞者が出た事でしょうか。
正直言って話題作りでしょうね、これは。
第一、事前に20歳前後の女性3人がノミネートされていると大々的に報道しているあたり、それ以外の意図があるとはとても思えません。
そんな事、純粋に作品の中身で選ぼうとしているのなら、発表する必要の無い事ですから。
それに、2作品とも『過半数の賛成を得て決定された』となっているのも、釈然としません。
これだけの賞を得るのだから、『最もいい作品』じゃないとあかんのではないかと。
かの有名な太宰治ですら、3度目の正直でやっと取れたほどの価値ある賞なのです。
甲乙つけがたいくらいのものしか無いのなら、『該当者なし』でいいんじゃないでしょうか。
ぬるい評価をしているから、『受賞作が面白くない』なんて事を言われてしまうんだと思います。
選考委員に言わせれば、『文学の深みがわかってないやつに言われたくない』のでしょうけど。
ともかく、今年の選考にはいろいろと疑問が残るので、作品をきちんと読んでみなくてはいけませんね。
せっかくお金を払うのですし、『話題先行』ではない事を祈るばかりです。




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